観測すればわかるということについて

重いもののほうが速く落下する、ことを否定するには、思考実験に頼る必要はなく、実際に物を落としてみて、その速さを計測すればわかることではないか、と普通は考えることができる。
しかし、「重いものは速く落ちる」という言い方にあるような、物の重さ感覚の中にいるうちは、実際に物を落としてその速さを計測する、という行動にまでは至らない。実際に物を落としてその速さを計測する行動を起こそうとする時点で、「重いものは速く落ちる」というところからは離れている。つまり、実際に物を落としてその速さを計測するという行動を起こそうとする時点で、「実際に物を落としてその速さを計測してみればいいではないか」という考えが前提としているはずの、重いものほど速く落ちるのか重いものほど速く落ちるわけではないのかどちらになるかは今はわからない、という仮定は、前提ではなく、重いものは速く落ちるわけではないということを知っているのに知らないふりをして実験しようとしている仮定、結果がどうなるかわからないからやってみるという種類の実験ではない(すべての実験は結果を見込んでするものなのかもしれませんが)、ということになる。重いものほど速く落ちるか重いものほど速く落ちるわけではないかどちらになるかわからないという仮定自体が、重いものほど速く落ちる感覚から離れていないとできない仮定である。この仮定であり疑問が生まれる時点で、その答え、あるいは、その答えが成り立つような、今までの感覚とは異なる方向性が、しっかりと打ち出されていなければならないはずだ。まずこのような打ち出しが可能となる段階がある。
その次に、実際に物を落としてみてその速さを厳密に計測するとなったとき、厳密に速さを計測するとはどういうことか、という問題が出てくる。綿毛とみかんを同時に落とすのでもなければ、目の前で重さの異なる二つの物、たとえば、みかんとりんごを、同時に落としてみたとしても、同じ速さで落ちたのか、どちらかが速く落ちたのか、を、決めることは難しいのではないだろうか? ここでさらに「客観的な」観測の方向性がその先へ延びることになり、もっと<厳密に>測定するため、物をより高い位置から落下させ、物を落下させてから地面の落ちるまでの時間を、正確な測定器で計測する、というようなことになる。
空気抵抗がある普通の状態のときの落下物体の終端速度は、v=\frac{mg}{k}となると言われている。終端速度が質量に比例するのだから、落下速度は、ほぼその質量(重さ)に比例しており、重いものほど速く落ちる、ということになる。もちろんこの数式があるからといって、落下させた物の速さを計測すれば必ず重いものほど速く落ちるという結果になるはずだ、と短絡はできないが(終端速度の数式には落下の速さは重さとは関係ないということが含まれているだろうし)、落下の速さについて、空気抵抗を考慮し、落下するものの速さは重さとは関係ない、と断言できるようになるには、もうひと越えが必要になるように思う。空気抵抗をどのように<考慮>すると、空気抵抗を考えない落下の速さは重さとは関係ないと結論できるようになるのか? ここから先は、実際の観測データから、どのように考えることができるかを、具体的にたどらなければならないように思えるので、宿題にしようと思います。
物の重さと速さの関係は、重さの実感(観)から離れ、観測データによる客観性に移行し、さらに、真空中という理想状態での運動という法則性に移行する。または、法則性から観測データを発見するという流れもありそうに思えます。この移行を支えるのは、おそらく実用のためとか、そこまでいかなくても、生活の基礎的な方向性、のようなこと、だと一応は思えるのですが、そういった、社会的な要請や、生活慣習の方向性、のようなものが、法則の成立には重要である、と言ってしまうことは、まあ、そうかもしれないですが、そこには、今は考えることなどできない他の可能性をあたかも大いにある可能性のように言っているのではないか、という感じもあります。どういう社会的要請があろうが、何百回も何万回も落として観測すれば、いつかは今のような法則に行き着くしかないし、今ある法則は客観的に最も妥当な法則だ、と考える以外ないように思います。今の法則がまるで社会次第でどうにでもなっていたかのような言い方をするのは、考え違いをしている気もします。どう言い繕ってみても、重いものほど速く落ちるわけではない、物の落下の速さは重さとは関係ない、としか今は考えられません。今ある法則以外の選択はできないし、その法則は数多くの検証にも耐えた正確なものです。(確実でないときもあるかもしれません。まだ物理の法則は完全じゃないみたいですし、宇宙の遠くを観測すると、今の法則に合致しない観測データもあるようです(→修正ニュートン力学)。このことは、今の<実用>のさらに先をいく、というふうに考えることができる、ということだろうか?)。
実際の観測データと、そういう基礎的な方向性から、v=\frac{mg}{k}のような数式で表される法則が成立し、今度は逆にその法則が現象を縛っているように見えるという逆転が生じることの不思議を、こうした方向からも考えていけるでしょうか。今回はちょっと全体的に無理な感じがあると思いました。全体的にどうでもいい感じがあります。物の動きと法則性についてのシンプルな部分だけに絞った方がいいのかもしれない。社会状況や法則の進歩のような概念が入ってくるのはもっと後の話ということでしょうか……。