マルチチュードとスピノザの関係

http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20051110

本書は、エピクロススピノザマルクスアルチュセールドゥルーズ=ガタリの後を継ぐマテリアリズムの系譜に立つ革命的政治哲学の書であると捉えることができる。

なぜスピノザなのかといえば、スピノザは「神に酔える哲人」と評され、その哲学は汎神論と呼ばれているが、この汎神論は内在の哲学であって、超越論ではない。(これについては『現代思想』2002.8.「特集ドゥルーズの哲学」青土社に収録されたジョルジョ・アガンベンの論文「絶対的内在」88頁を参照せよ。)つまり、スピノザの神をマテリアルと看做し、『エチカ』を無限の力動的プロセスを明らかにした書として読むことが可能であるということになる。こうして、スピノザの『神学・政治論』もしくは『国家論』を機軸に、『エチカ』を政治哲学と読み、これをマルクスの先駆として捉えることができる。これにより、収容所群島の無限肯定に帰結する抑圧の弁証法に転化したかつてのロシア・マルクス主義への反措定・異議申し立てを行うことができる。

こうしたスピノザの読み替えは、ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』や『スピノザ〜実践哲学』、マシュレーの『ヘーゲルスピノザか』などで行われており、ネグリの『野生のアノマリー〜バルーフ・スピノザにおける力と権力』もその方向性に沿った著作といえる。