気分の話をします

いつも以上に単なる気分の話であり、どうでもいい話です、プリンよりゼリーが好きみたいな話です。
どんなものにでもそこにおもしろさや良さを見いだせればそれでいいのか
いろいろなところにおもしろさをや良さを発見できれば楽しいと思えます。
おもしろさや優れた点を発見する、感じることができるものが多ければ多いほど楽しい、ような気がします。
では、それをおもしろいと思うことこそ、それを優れていると思うことこそ、良くないことなのだ、劣ったことなのだ、と考えることができる場合はどうでしょうか。
そんなものをおもしろがっていてはだめだ、と言われて、これをおもしろがっていてはだめだと思えるか、思うことは可能でしょう。
同時に、何を言われても反論はできるし、反論はできなくても、それをおもしろいと感じてしまっていることは事実であり、それを否定することはできない、ということもあります。
それが良いかどうかは時と場合による、何をおもしろいと思っているか、それをどう批判されたか、その時々で異なる、というのが正しい答えだとは思いますが、強引に言うと、やはりおもしろさをまず感じてしまう方が優勢な気はします。
ただし、おもしろさを感じる側が、具体的でなく曖昧で内輪用語で完結している場合、かつ、おもしろさへの批判自体がものすごくおもしろい場合、は批判の方がおもしろい気がします。
批判がただの無知による揶揄であったり、具体的でなく曖昧であったりする場合は、問題外でしょう。
同じように、おもしろいと感じる場合、それを批判する場合、どちらにでも言えることですが、友人知人親や家族世間一般世界共通その他そういった他の誰がどれだけ賛成したり反対したりしようが、法律で禁止されようが、私に賛成するのは私一人であろうが、私がおもしろいと感じるのだ、私が批判したいからするのだ、なのかどうか、みたいなのもある気はします。