隠された(見えにくい)不正をみんなに知らせる、という批判方法

宗教は自分の信念を隠す。
自分の信念は絶対に正しいと主張するが、それをあんまり知られたくない。社会通念とは合わないからだ。その程度には現実がわかっている。だからかくす。
だからこそ、宗教には、みんなに知らせる、という批判方法がある程度有効となる。
たとえカルト宗教であれ(だからこそ)、みんなに知らせることを恐れる部分がある。
しかしそれが有効でない場合もある。
その「みんな」こそが問題となる場合がある。
ここで立場が反転し、同じになる。