不快にさせることについて

嫌なことを昔されたからやり返すとか、毒舌を言うとか、いろいろありますが、ある人に対してその人が不快になるようなことをする、したくなる、のはなぜか、という問題があります。
なぜかも何も、わかりきってる、ということもありますし、理由は時と場合によってさまざま、ということもあるかと思いますが、一応整理します。
 
おおざっぱにとらえると、こうしたことを、『エチカ』では、Bの行為は自分Aの力を小さくさせた。Bを見たり想像したりするだけで自分Aの力が小さくなることを想像してしまう。そういうBの力を減退させるようなことを行えば相対的に自分Aの力の増大を想像できる。だからBの力を減退させるような行為を行うような方向に心が向けられる、のように説明すると思われます。
 
相手Bを不快にさせて、結果起こることは、相手Bが不快になる、ということです。
不快になった相手Bは「私は嫌なことをされて不快になった。あの人は私の過去の行いにより私に不快なことをするに至った。あの人には悪いことをした。私はもうあの人やその他の人が不快になることをしないようにしよう。」と思うかもしれません(そう思わせたいわけでもない)がそういうことはあまりないでしょう。「むかついた。今に見てろ」と考え、仕返しを考えるか、もうかかわろうとしなくなるでしょう。
Aの行為によってBが不快な状態になったとしても、Bが不快になるだけで、Aの快は増えません。むしろBが不快になることによってA(自分)への敵意が増大しますし、AはそういうBの敵意を想像してさらに警戒しますし、BもまたそのようなAの心情と同じような状態になりますし、結果として互いに敵意を高め合い、消耗するだけ、のように思えます。
 
そうは言っても、じゃあ相手が不快に思うようなことはやめよう、相手が不快に思うようなことを強烈にしたくなる感情が起きないようにしよう、と思えばやめられるかというと、人間の心というのは単純なもので、不快なことを思い出すと不快な気持ちになるし、不快なことを感じた時にいつもそばにあったものを見るだけで不快な気持ちになるし、そういう人間の心の仕組み自体を変えることはできないので、やめることはできない、のかもしれません。
 
まあでもいろいろな人を見ていると、見える限りでは、相手が不快になるようなことを一切しない人、悪口毒舌のようなことを一切言わない人、というのはたくさんいる、ように思います。