将棋が好きなら相手がトイレに行っている間に駒を動かさない問題

将棋が好きなら相手がトイレに行っている間に駒を動かしたりしない。
相手がトイレに行っている間に駒を動かしてことを有利に運ぼうとするとしたら、それは将棋をしたいのではなく、将棋で勝ちたいだけだ、という永井さんがどこかで書いていたことを受けて以前書きました。
では、将棋ではなく、人生、世の中、の場合はどうでしょうか。
世の中、における人生、については、将棋における、こっそり駒を動かす、ということが、どこまでいってもない、ということがその本質だと言える、のではないでしょうか。
人生においては、どんなやり方も、そのルールで説明できる、できざるを得ない、ということにならないでしょうか。
人を殺そうが、騙そうが、嘘をつこうが、すべてが、この世や人生を愛するからこその、正真正銘正々堂々の裸の真っ正直な正面からのやりかた、ということに、なってしまわざるを得ないのではないでしょうか。
だからこそ、そういうところにこそ、人生の行き詰まりがあり、本当の自由がある、ということに、ならないでしょうか。
それとも、やっぱり人生にも、卑怯なやりかた、人生を愛していればできないこと、というのが、ある、ありうる、のでしょうか。