2次的価値づけ

おいしいものを食べるということはそれ自体価値のあることだからおいしいものを食べることはそれ自体で満ち足りている。
かというとそうでもない場合があるのではないか。
おいしいものを食べるということが、良くないことだ、という価値づけがあり、それを支持する人が社会の大勢であったり、信頼する人がそれを支持していたりしたら、おいしいものを食べることは、それ自体に快を感じても、あまり快ではない、ことになるのではないか。
人は、おいしいものを食べる、ということだけでは満足できず、おいしいものを食べるということが支持される、ことまで望んでしまう。
誰が何と言おうと、おいしいものを食べることは快なのであり、私はそうする。ということが安易に言えないことはもう確かだろう。
なのだろうか?という問題がある。