感情の原因

仏教でもスピノザでも永井さんが言うところのヴィッパッサナー瞑想でも、おそらく、そうですが、苦しみの大きな原因の一つに、ある事実に対応して起こる感情がある、という考え方がある。
(苦しみの大きな原因として感情以外では痛みがある。痛みは感情抜きで苦しみに直結する。)
感情にあおられるままだと苦しい。
ある事実が入力されたら自分(人間)にはこのような感情が起きそれが苦しみにつながる、ということを、機械を理解するように理解できれば、少なくとも感情にあおられるままつらさの嵐に巻き込まれることはなくなる、かもしれない。
このことは、特に、怒り、嫉妬、悲しみ、などには有効に思える。
ただ、恐怖、恥、などに有効性を持つかはあやしい。恥は有効性があるかもしれない。
恐怖は、それが起きるとき直接身体的危険とつながっていることが多く、有効であるかどうかをまだ実感的に納得しにくい。
身体的危険が迫っているからこそ冷静に行動すべきだし、身体的危険が迫っているときに冷静に行動する人間、というのは簡単に想像できるが。