日記

ブッダは生命とは何なのかと調べた結果、「苦」だという答えを出しました。私たちは幸せを求めて生きていると思っていますが、じつは「命は苦でできている」のです。

http://president.jp/articles/-/10194

「無常」というと、暗い話を思い浮かべる人がいますが、実はそうではありません。変わり続けることは、いい悪いではなく、そういう法則だという、ただそれだけのことです。人は、子供が成長するという変化は喜ぶのに、なぜそれ以外の変化には怒るのでしょうか。社会や経済が変わるのも、病み衰え死ぬのも、雨が降り、地球が自転をするのと同じ、当たり前のことなのです。

苦しみは、無常という真理を認めようとしない心が生みだしています。たとえば、人は自分の都合のいいように、勝手に「安定」を期待します。好調な業績は今後も続くだろうと考え、結婚で得た幸せはゴールであり永遠に変わらないと思いたがり、子供がいい学校に入ったら「もう大丈夫」と安心します。しかし本当は安定などありえないのです。

http://president.jp/articles/-/10194

ブッダさんが何を言ったのかはよくわかりませんが、ブッダさんが言ったということを無条件に受け入れているように見える人の言うことを真に受けてはならない、みたいなことを考えてしまいます、と言いそうになったところでなんと

安定を求める私たちは、毎日の生き方において、安易に「安心感」に陥りがちです。世の中はすべてがずっと刻一刻変わり続けているのですから、私たちは毎日を注意深く生きなければなりません。今日も精一杯頑張れただろうか、何か問題は生まれていないかと十分注意を払う必要があります。仕事で業績を維持するには毎日さまざまな手を打たなければなりませんし、結婚後に家族がずっと幸せで仲良くいるためにも、毎日死ぬ瞬間まで努力し続けなければならないのです。

そのことに気づかずに、長年、毎日をダラダラと生きていると、小さな「ゴミ」が積み重なり、気づいたときには取り返しのつかない状態になっているのです。

しかし、すべては無常であり、あらゆるものは変わるのだと知れば、慢心せずに、毎日を大切に生きなければならないと気づきます。

http://president.jp/articles/-/10194?page=2

これをどう考えればいのでしょうか。恐ろしいなぞがなげかけられています。
まず、安定などありえない、と言い、その記憶がそのまま残っている状態で次の文章を読むと、毎日を注意深く大切に精一杯頑張って生きてゴミを取り除き様々な手を打ち努力し続け安定させよ、と言っているのです。まったく正反対のことが言われているとしか読めないのですが、これはいったいどういうことでしょうか。