「(数の)1」とは何か

「数1は何か」とか「記号1は何を意味するのか」という問いに対して、大抵の場合、人は「一つのものだ」と答える。このとき、よく注意して
 
「数1は一つのものである(die Zahl Eins is ein Ding)」
 
という命題が定義ではないこと、なぜなら、片方の側には [dieという] 定冠詞があり、もう片方の側には [einという] 不定冠詞があるのだから、この命題は数1が複数ある物のうちの一つであるということを述べるだけで、それがどのような物であるかは述べていないからだ、ということを理解するなら、おそらく人は、数1と呼びたいものとして何物かを選択するよう迫られるだろう。しかし、この [数1という] 名前の下に何を理解するかを、各人に自由に選ぶ権利があるとすると、数1に関する同じ命題が、人によって異なる意味を持つことになってしまう。それでは、そういう命題は共通の内容を持たないということになるだろう。ひょっとすると、先の問いを拒否して次のように指摘する人もいるかもしれない。「算術におけるaという文字についても、その意味(Bedeutung)を述べることはできないだろう。仮に、aはある数を意味すると言う人がいたら、その人は「数1は一つのものである」という定義における間違いと同じ間違いを犯すことになる。」さて、aについてのこの問いを拒否することは全く正当である。aは何ら特定の確定的な数を意味していない。そうではなく、aは諸命題の一般性を表現することに貢献しているのである。もし a + a - a = a におけるaに、任意の、ただし全てのaに対して同一の数を代入すれば、常に真となる等式が得られる。このような意味において、文字aは使用される。しかし数1の場合は、状況は本質的に異なる。1 + 1 = 2 という等式において、1に二度同じ対象、例えば月を代入できるだろうか?むしろ、最初の1と二番目の1には、何か違うものを代入しなければならないように思われる。1 + 1 = 2 の場合、まさに a + a - a = a の場合のような間違いが生じているに違いないとすれば、それはなぜなのか?算術を行なうには、文字aだけでは不足で、異なる数字の間の関係を一般的に表現するためには、b,cなどの文字も必要になる。従って、もし記号1が文字aと類似の仕方で命題に一般性を与えることに役立つとすれば、記号1もまた十分ではありえないと考えるべきである。しかし、数1は、一定の性質――例えば、2乗しても変わらない――を持った確定的な対象として現れてはいないだろうか。この意味では、aは一つも性質を持っていない。というのも、aについて言われる性質は、諸々の数に共通の性質であるのに対し、1² = 1 は月について何も言明しておらず、また太陽についてもサハラ砂漠についてもテネリファ山についても何も言明していないからだ。それでは、このような言明の意義(Sinn)は何でありうるだろうか?
 
『算術の基礎』http://www.geocities.jp/mickindex/frege/frg_GLA_jp.html

 「長さとは何か?」「意味とは何か?」「1とは何か?」・・・こうした問いは、人間の精神に痙攣を起こさせる。このような問いに対し、何かを指し示す(point to)ことで答えることはできないと、私たちは感じる。だがそれでもなお、何かを指し示さなければならない気がするからだ。(私たちは、哲学の混乱の大きな源の一つに直面している。名詞に対しては、何かそれに対応するものを探さなければいけないと感じてしまう、というやつだ。)

(中略)

 「語の意味の説明」と一般的に言われるものは、非常に大雑把に言うと、言葉による定義(verbal definition)と、指さしによる直示定義(ostensive definition)の二つに分類される。(中略)言葉による定義は、別の言葉で言い換えただけだから、ある意味では一歩も前進していない。一方、直示定義の方は、意味について学ぶうえでもっと現実的な一歩を踏み出せるように思われる。

 だが、すぐに直面する困難は、私たちの言語の多くの語に対して直示定義ができないように思われることである。たとえば、「1」とか「数」とか「ではない」とか。
 
青色本http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/witt_blue_jp.html