ウVSチュー 読み中

最初のチュー部分はわからない、このまま我慢して読んでいたら挫折して一生読まなくなりそう、なので飛ばし、ウのところから読んでいます。(ひどい)
すると、いやそれは違うのではないか、厳密に積み重ねて考えていくとそうなってしまうのかもしれないけれど、そこをそう考えてしまうと根本的にウが理解できていないことになるのではないか(A0)、ということがいきなり書かれており、もしかして何か読み間違えをしてしまったのか、やはりチュー部分を飛ばしてはいけなかったのか、チュー部分を飛ばさずに読んだらここも深く納得できるのだろうか、などと思いながら読みすすめると、まさしくそれはウが批判したことなのである、と、まずこのA0が一から丁寧に批判され、すんなりとウの考え方(B0)に入って行くことができます。その上でそこをさらにチュー的にもう一度よく考えなおしてみると、いや実はA1なのではないか、A0はさすがに素朴な誤解しやすさだったけど、チューによって洗練されたA1なら、ウに対して有効に反論できるのではないか、と話が進み、しかしやはりそこはさすがウである、A1もウによって根底的に批判されていた(B1)のだ! というように話がすすむのです。
最初からB0やB1が、これがウの考え方である、と説明されていたら、ふむふむいつもどおりのウだな、と流してしまいそうになると思いますが、まずチューの厳密な思考過程としてA0やA1が置かれ、それに対し、生きたウの批判としてB0B1が説明されるので、新鮮な気持ちで考えなおすことができる、ような気が、します。