定型批判

すべからく摘発のような定型批判が一番陥りやすい失敗だと思う。フォーマットに従って安心して批判できる。素手の人の前に銃を持って自慢げに立っているようなものだ。そういう人は自分がすでに首を折られて倒されていることにも気付けない。俺は銃なんだから絶対素手より強い!と棺おけの中で言い張っている。もちろん定型批判を定型に見るということもすぐに生まれるわけで、定型への陥りやすさ、どうしても繰り返してしまう失敗、定型批判の強さを見誤ってもいけない。
問題は、そういった定型に囚われて、自分が問題を捉え損なっていることに気付いていない人を、気付かせる意義はなんなのか、気づかせるにはどうすればよいか、自分が気づくにはどうすればよいか、ということだ。自分が気づく意義についてはそれほど問題を感じない。自分はできるだけよりよく知っていたほうがいいと思うからです。よりよく知ることがより不幸な状態になることにつながるかもしれない、棺おけの中でニヤニヤ自分の強さを実感しながら死んでいるほうがラクで楽しいかもしれない。