おもしろかった! 満足した!
Aという場面があってBという場面につながりCという場面に移行しD場面につながる。
1という事実があり2という感情が生まれ3という行動が実行される。
こういう常識な足し算的つながりを破壊するのがおもしろい、みたいなことを普段は思ってしまいがちですが、これがただ上手くいっていないということと、これを破壊しているということの、違いはなんでしょうか。
機械的であろうが
いや、そうではなく、こうした常識的なつながりしかないから、時間がたつにつれ、緩慢な停滞を感じてしまうのでしょうか。
あらゆる場面において、上手い!と感じることが皆無で、なんでそうなっちゃうかなぁ、ということばかりでした。
地平線がまったく見えず(未確認)、岩山に囲まれた狭苦しい風景しかなかったのも息苦しかったです。
敵戦闘機が初めて現れる最も重要な夜の場面で、何の効果があるかわからないBGMがだらだら流れっぱなしのままなし崩しで夜空に光が見える、という場面の台無しっぷりが凄まじい。
ダニ工エル・クレイグが腕の不思議な未来機械でエイリアンの戦闘機を撃ち落としたあと、その機械が未来的動きで非戦闘モードに折りたたまれ鉄の腕輪に戻ったとき、その腕輪から、画面奥で腕輪を見つめるハりソン・フォードにピントが移行したとき、だけは、映画を見た、という気分になりました。
しかし、最終的には、おもしろかった! 満足した!と思えました。これは本当です。