痛みの現在性?

「痛いと思ったけど痛くはなかった」
「痛いと感じたが痛いではなくて冷たいだった」
ということはあるのではないか、と思いそうになるが、「痛いと思ったけど」「痛いと感じたが」のとき、痛いから痛いと感じているのだから、そのとき痛くなかったわけではない。痛いと感じたということは痛かったのでありそれ以外ではありえない。
痛みというのは、何かの対象の名前ではない。何かの対象の名前だとしたら、間違って名づけたり、自分ではない他の誰かが観察して確かめたりすることができるから、正しいか間違っているかを考えることに意味がある。
しかし、痛みは、ものの名前ではないから、間違って名づけるとか、自分ではない他の誰かが観察して確かめたりするということができない、そもそもそういう種類のことではない。
だから、「痛いと思ったけど痛くはなかった」という言い方は、「痛い」という言葉を間違って使っている、もしくは、痛みという概念を誤解した使用法ということになる。

のだろうか?
痛みは確かに対象の名前ではないように思える。でも「痛いと思ったけど痛くはなかった」ということがナンセンス、無意味だ、ということはないだろう。この文章を読んでもまったく意味がわからないというわけではなく、どのような内容のことが言われているか理解できるように感じられる。「痛いと感じたが痛いではなくて冷たいだった」となるとより意味が明瞭になるように思われる。しかしこれも「宇宙の外側には何がある?」と同様の間違った言葉(概念)の使用なのだろうか。