日記

「エッセンシャル・キリング」2010 スコリモフスキ イメージフォーラム
「アンナ」はたしかに孤独でした。絶望でした。しかし,どうなれば孤独ではなくなるのか、どうなれば絶望ではないのか、それについてははっきりしていました。帰る家もあり、家で食べる食事もありました。
「エッセンシャル・キリング」はアンナが枕元で読む絵本に思えるほど凄まじい映画です。「エッセンシャル・キリング」はいきなり始まります。え、もう始まってるの、という唐突な始まり方であり、そのときすでに追われる身です。そして最期まで追われ続けます。
逃亡に疲れつい眠ってしまう場面が何度かありますが、そのたびに指導者(?)の言葉が頭の中で鳴り響きます「自分がいいと思ったことでも自分にとってはよくないことかもしれない、自分が悪いと思ったことでも、自分にとってはよいことかもしれない、それを知っているのは神だけだ……」のような内容の言葉が頭に鳴り響きます。目が覚めるとすぐに逃亡開始です。周りの環境はこれ以上なほど過酷で、いつも息を切らしています。蟻を食べ、木の皮をむしって食べ、人に会うと殺し、とにかく逃げ続けます。
逃げ疲れ、寒さに凍え、民家の前で思わず泣き出しそうになってしまうあの絶望感は「アンナ」の絶望に似ています。似ていますが「アンナ」とは全く違います。「エッセンシャル・キリング」が凄まじいのは追われ続けることにあるのではありません。一体どうなったら追われなくなるのか、どうなったら安らぎを得られるのか、どうなったら安寧の境地に至れるのか、それすら全く見えない、いや安寧などない、ということが凄まじいのです。