日記2

数学はど素人なのですけれど、ど素人なら何も言わないほうがいいと思いますので言いません。
「5」を意味するのに「5」を使わずかたくなに「2+3」を用いていたら、「何かあるのではないか?」と勘ぐられて当然だと思えます。「ここにりんごが2たす3個あります」などと言うと「え? だから5個ですよね?」と訊かれると思います。そのときは「そうです5個です」と答えるしかないのではないかと思います。それでもまだ「いえ2たす3個です。たしかに2たす3は5に等しいですが、まあとにかく2たす3個なんですよ。5と同じですが」などと言うと、「絶対この人は「りんごが5個」以上のこともしくは「りんごが5個」以外のことを意味しようとしているな」と思われるしかないように思います。
というわけで「"0.999..." という文字列は "1" という別な文字列が表すものと(近いとかほとんど同じとかいうことではなく)まったく同じ数に対応する」と言われても納得できないのは当然のことであって、「「等しくない」とする人々のいう理由というのは典型的に実数に対するいくつかの一般的な誤解に基づくものである」としても、その「実数」というものが「「りんごが5個」以上のこともしくは「りんごが5個」以外のこと」にあたるのかな、と思えます。
「1」なら「1」であって「0.999...」ではないです。「1」と等しいなら「1」でいいのであって、かたくなに「0.999...」を使いたい、使う意義がある、のならそれは「0.999...」であって「1」ではないでしょう。
と思いましたが「2+3=5」には何の疑問もありませんが、「0.999...=1」には疑問がある、という話でした。それならわかる。すみません。
私は数学ど素人であってました。私が正しかったためしがない。私はいつも間違え、間違えても幸福になる人はいるかもしれませんが、私は間違えるし不幸です。幸福と思えばその人は幸福なのかもしれないのであって不幸だと思えば不幸になるので私は幸福で正しいです。正しくはないかもしれないけどハッピーです。ハッピーな自分を忘れる必要はないので映画を見る必要はない、もしくは、ようやく映画を正しく見ることの出来る域に達することができたわけです。映画を見るのに正しい域とか正しくない域とかあるのか?誰が見てもええんや!そういう話ではないことはわかります。