日記

山田圭一『ウィトゲンシュタイン最後の思考』(勁草書房)を読んでいます(読んでいません)(すみません……)
永井均ウィトゲンシュタイン入門』から問題意識をつなげて読めるところも多いので助かります。ウィトゲンシュタインの入門書は、Amazonのレビューを見ると、飯田隆さんの『言語の限界』、鬼界彰夫さんの『こう考えた』、野矢茂樹さんの『読む』の3冊が一般的なようなのですが、この3冊より、永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門』がおもしろいと感じるのは、「「「りんご」はりんごを意味する」とは言えない」問題や「「実際黄色なら青くないという現実があるじゃないか」と言うときの「黄色」も青色と排他的関係にあるという文法をもつ「黄色」という言葉を使用せずには言及もできない」問題、「「痛いけど実は痛くないかもしれない」はあり得ない」問題、「「あの人は怒っているように見えるけど怒っていないかもしれない」は無意味」問題など、例の鮮やかさによるところが大きいと思うのですが、このように永井さんのわかりやすい問題意識から始められた問題との連続性と緻密さが山田圭一さんの『ウィトゲンシュタイン最後の思考』のおもしろさの理由かなと思います(緻密などと判断してすみません)。ただ私は頭が悪い上に集中力も粘り強さも無いので、緻密な議論が続くと細かい部品の整理作業をしているだけの無味乾燥な*1議論のように思えてくるので注意します。『読む』は読めば読むほどウィトゲンシュタインがつまらなくなっていくように感じてしまうし、『こう考えた』にも若干そういうところがなくもなかったです。つまり私はそれくらい本を読む能力がないし、ウィトゲンシュタインに興味を持ってもいない、ということなのだろうと思うので、そのあたり注意していこうと思います。

*1:職業差別をして申し訳ありません。部品の整理作業を無味乾燥と考えるなんて、部品を整理する作業をしたこともなければ部品を整理する作業について考えたことすらなく、まるで自分が部品を整理する作業以上の仕事をしているかのように無反省に思い上がった考えだと思います。