日記

ドラえもん のび太の宇宙開拓史』や『天空の城 ラピュタ』をおもしろいと思う気持ちを無反省に基準として肯定してしまうこと、「ピュア(御都合ピュアですが)」な気持ちを否定する無粋さを指摘する気持ちに抵抗することの困難さを120%受け入れてしまわざるをえない領域に追い込まれてしまうことは、怠惰な精神だと思います。怠惰なのがいけないのか? 怠惰というよりは現実の諸条件と考えるべきでしょうか。何かをおもしろいと思うことが肯定できるかどうかはおもしろいという気持ちそのものにあるのではなく何をどのようにおもしろいと思うかにある、と考えることのほうに傾きます。傾向の問題ではないですが。肯定できるのかどうかはともかくとにかくフレデリック・ワイズマンの映画は本当におもしろい、と言うだけでは意味がないどころか、肯定できないことを肯定できるかのように振舞っているわけでむしろ積極的に良くない。正直言って勉強する気持ちがないと見ることができない映画、おもしろい!という感想を言うけれども何度か見たあとでそれほどおもしろいか?と思ってしまわざるをえない映画がありますが、ワイズマンはなぜか常に正直におもしろい。さらに正直に言うと『バレエ』はちょっといまいちだったかなという感じがする。私は生々しい肉体、暴露的話に喜んでしまう俗な人間だからそれがない『バレエ』には興味が生まれないからでしょうか。同じような意味で今度封切りの『パリオペラ座のすべて』もちょっと身構えてしまう。それにくらべて『臨死』や『肉』はわかりやすい。『法と秩序』のおもしろさの何分(分=割の十分の一)かは、「なんとか警察24時(?)」と同じ種類のおもしろさがあると思います。24時は見たことがないのでわかりませんが(人気番組といううわさを聞いたので……)……。今週土曜日は14:00から358分にわたる超絶おもしろい『臨死』があるので万難を排して見ようと思います。連休のその他の日は会社で仕事です。(そのため既に手に入れた23日昼夜の℃-uteコン(座間)チケットは放出するか本のしおりにします。ここを見ている方(一日平均3人)なら一枚1000円でどうでしょうか?昼夜とも1階10列代です。)