「速度をその運動の一状態として語る傾向」

車で半時間しか走らないのに、その車は一時間20マイルで走ったと言う。この表現形式の説明として、その車は一時間20マイルゆける速度で走った、と言うことができる。ここでもまた車の速度をその運動の一状態として語る傾向があらわれている。だがもし我々に「運動の経験」としてあるのがただ、或る物体が或る時刻に或る場所にあり他の時刻には他の場所にあるということだけであるとしたら、そういう表現は使わないだろうと思う。つまり、もし我々の運動経験が、時計の[見ただけでは動いているのがわからない]時針が文字盤の或る場所から他の場所に動いたのに気付くような種類のものであるとしたら、である。


ウィトゲンシュタイン『茶色本(全集6巻)』P169(46)