コインランドリー

洗濯回数が多いので、洗濯機を持たない生活が不安でならなかったのだが、こっちに引っ越して20日ほど過ぎ、徒歩1分のコインランドリーで何度か洗濯した今の段階では、全然不便じゃない、これだと洗濯機なんてないほうがむしろ快適、という嬉しい結果となったわけだが、今週末は洗濯できないので毎週土曜の朝に洗濯する規則を変更して今日帰宅後コインランドリーへ行くと、コインランドリーの乾燥機の扉の丸い透明の窓の部分に、「明日で閉店します ありがとうございました」と筆ペンで書かれた紙が貼られていた。両替代わりに近くのコンビニで野菜ジュースを買いコインランドリーで洗濯機をセットしたあと自室に戻り不運と運について考えながら過ごし、洗濯が終わったころ部屋を出てコインランドリーへ行くと初老の女性が椅子(持参の?)に座っていたので、すみません私最近引っ越してきたものですがこのコインランドリーが閉まると(困るのですが)どこか近くにコインランドリーはないでしょうか、と訊いたところ、このコインランドリーは閉まるがすぐにまた新しいコインランドリーがこの敷地内にできるらしいのよ、とのことだったので、それは良かった、のようなことを言って洗濯物を洗濯機から出し自室へ戻ったが、新しくコインランドリーができるまでには今のコインランドリーが新しくならなければならず、今のコインランドリーの、改装ぐらいではどうにもならない感じからして新しいコインランドリーができるまでどう考えても1ヶ月、あるいは3ヶ月あるいはもっとかかる筈であり、そのあいだに洗濯をする場所を発見しなければならない。

  • 『青色』P38まで。

語の意味は直示定義でも心像でもない、ということについての議論を追っていくときに感じるもどかしさは、じゃあその「意味」っていうのは何なのか、何を目指しているのか、を(私が)見失ってしまうことによるように思われる。語の意味はその使用(use)であり直示定義や心像ではないということはわかる(ような気がする)のだけれど、じゃあそのように言っているときの「意味」って何なのか、どういうことを明らかにしようとしているのか、が、議論を進めれば進めるほどわからなくなってしまう。『青色』の冒頭には何を目指しているかがしっかり書かれているにもかかわらず。