関連サイト 科学 ( 2007.06.08 - 2007.06.15 )

 Drakeの研究は多くの研究者の関心を集めたが、彼の強引な議論は多くの批判も呼び起こした。とくにR.H.Naylorとの間で80年前後の数年にわたって行なわれた論争は有名である。両者の論争は次第に泥沼化し、最終的な決着が付くことはなかったが、論争の過程で明らかになったことは手稿解釈の背後にある両者の科学観の違いだった。Drakeは、ガリレオを、何の理論的前提もなく実験から帰納的に落下法則を導き出した実験科学者として描こうとしていたのに対して、Naylorは、実験における理論負荷性を認め、ガリレオの実験も理論を検証するための理念化されたものと捉えている。Drakeの議論はある意味で素朴な科学観に基づいていると言えるが、しかしNaylorもDrakeを打ち負かすだけの論拠を挙げることはできなかった。両者の論争は手稿の中だけでは決して決着の付くものではなかったが、しかし両者の間で一致していたのは、ガリレオがこの時期に斜面上の降下実験を行なったということである。思考実験とみなしたコイレの主張は誤りだったと認められるし、この点こそDrakeらの最も重要な業績だといえよう。

(必読)

(鄽)いわゆる「帰納法の法則」は「論理法則」、「ア・プリオリな法則」ではありえない(cf.TLP,6.31)、「帰納法という手続き」は「論理的な理由づけ」を持たず、「心理的な理由づけ」しか持ちえない(cf.TLP,6.36311)というテーゼ。

 この論点により、「因果的連鎖」が「帰納法」に基づいて基礎づけ可能だということも否定されることになる。

 さて「帰納法」とは一般に「経験的に与えられる個的なものから普遍的な法則に到達する方法」と定式化されるが、ウィトゲンシュタイン自身は、「帰納という手続きは、われわれが経験と一致しうる最も単純な法則を想定するという点に存している」(TLP,6.363)と定式化している。そのとき問題となるのは、ここでの「経験」ということでどんなことが意味されているのかということである。

 それに関しては二つの解釈が考えられよう。まず第一のものは、 それは「現在の瞬間に与えられたもの」を意味するとする解釈である。その場合帰納法とは、「現に与えられた個的の体験」から「未来の」出来事を推論する方法だということになる。第二のものは、 それは「過去(と現在に)与えられたもの」と見なす解釈である。そのとき帰納法とは、「過去の経験において一定の規則性が成立した。ゆえに未来の経験においてもそれと同一の、あるいは類似した規則性が成立するだろう」と推論する論法として解釈されることになる。

 ところで『論考』の基本的世界観の一つは、「純粋な実在論」即「現在の瞬間の独我論」(中期に彼が「現在の経験のみが実在性を持つ」(PB,§54)と述べた立場)であると先に述べたが、それは「実在論(二元論)」に対するデカルト的タイプの懐疑論との対決の末に到達された立場だと言える。もし『論考』がこのような「現在の瞬間の独我論」を採っているとすれば、「過去の経験において一定の規則性が成立したという記憶が正しいかどうか」ということもまた「正当化」の問題に晒され、「懐疑論(記憶懐疑論)」の対象となりうる。そして「過去実在論」との対決において「記憶即記憶印象即現在の瞬間の現象」と見なす立場が彼の基本的立場となるはずであろう。実際に中期においては、「もし諸君が『どのようにして君は思い出すのか…等々』と問い続けるならば、諸君は最後に『そのように私には思える』と言うところまで連れてゆかれるだろう」(WL30-32,p.83)と述べられて、そのような立場が唱えられているのである。

一体、全ては不確定であるとか、全ての命題は修正可能であるということは可能であるのだろうか。“経験主義のドグマ”によれば、総合的命題は全て反証される可能性があるが、矛盾律のような分析的命題はそうではないということになっている。ところが、クワインによれば矛盾律のような論理法則(それは知のシステムの中心に位置するのだが)ですら、比較的周縁に位置する経験科学によって修正される可能性が、非常に少ないとはいえ、全く無いわけではない。

だが“それならば論理学も経験科学の一つである”と言う人がいれば、それは誤りである。但し次のことは正しい。同じ命題が、あるときには経験的に検証されるべき命題として、別のときには検証の規則として取り扱われてよい。

[Wittgenstein: 〓ber Gewi〓heit,98]

かくして、それぞれ違った意味においてであるが、相互包摂の関係がある。自然科学の一部としての認識論と認識論の一部としての自然科学。

[Quine:Ontological Relativity, p.83]

今世紀に入って、数学や論理学などの形式科学も自然科学のような経験科学も等しく不確定性の問題に直面する。

超越論的議論(論証)とは、言うまでもなく、カントの議論に由来する。つまり、われわれが知識をもっている、あるいは科学的知識が現実に成立しているという事実から、知識の獲得とか学習が可能であると論じるとともに、知識の不可能性を主張する議論 ― たとえばヒュームの議論 ― は誤っていると結論する議論である(『科学的発見の論理』邦訳第二巻、四四八ページ、注三を見よ)。ポパーは、この議論を踏まえた上で、知識の獲得を可能にさせている方法を議論の対象に据えようとする。そして、そのようなことをおこなう自らの議論の仕方を超越論的方法(の適用)と呼んだ。定式化した言い方をすれば、超越論的方法とは経験科学において事実上用いられている方法を問題にし、またそれを中心にして科学のおこなう主張や概念構成そのものを批判的に考察しようとする立場である。

帰納という言葉について
アブダクションとの対比で本書の中によく出てくるのが、「典型科学」の方法論としての「帰納」である。これについての三中さんの記述にも少し疑問がある。
論理学でいうところの帰納(枚挙的帰納)と、20世紀なかばの科学哲学で問題になっていた帰納的推論は指示する範囲が違うので注意が必要であるが、三中さんはその区別をあまり意識していないように見える。たとえば「論証スタイルとしての帰納」(p.59)という言い方は枚挙的帰納を念頭においているように見えるが、科学の方法論が枚挙的帰納だなどと思っている人は論理実証主義にはいなかったはずである(枚挙的帰納しか使わないのなら道具主義も出る幕がない)。仮説演繹法を使って仮説の確からしさを評価するのも帰納的推論の一種とされるが、これはデータからの普遍法則の発見という枚挙の方法とは異なる。科学哲学で問題となってきたのは、ampliative(情報増加的)な推論の中に妥当とみとめてよいものがあるかどうかということ。ちなみに、ポパーは ampliativeな推論全般に反対していたので、当然あとで三中さんが支持するアブダクションにも反対だった。帰納の問題で論理実証主義が敗退したのはしかたがないというなら、ましてやアブダクションも敗退してしかたないということになるはず。
ついでにいえば論理実証主義が時代遅れになったのが帰納的推論の妥当性を示せなかったからだというのはかなりポパーやクーンとの論争にかたよった見方で、それ以外の要素(科学史の無視、理論語と観察語の区別、中立的観察文の呈示、極端な道具主義、科学理論についての文パラダイムなど)での失敗が総合的に論理実証主義の力を奪ったとみるべき。