近代官僚制

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050918/p1

  一方、近代市民社会発展の歴史に目を向けると面白いことが分かります。世界で最初の市民革命でもあったとされる「オランダ独立戦争」(1568-1609)によって、中世自由都市の面影を残しながらもイギリスやフランスに先駆けて逸早く市民による活発な交易活動社会を実現した17世紀のオランダ(その黄金期は現代オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga/1782-1945)によって『レンブラントの時代』と名づけられている)は、新興ブルジョワ階層(レヘント(Regent)と呼ばれる商人等を出自とする都市門閥貴族)を主体とする市民社会を創りあげていました。彼らは、その地の利と他国に先駆けて芽生えた「17世紀オランダ近代理性主義」(16世紀のエラスムスを源流とするグロティウス、スピノザなどの系譜)の知的遺産と欧州の十字路と呼ばれるマルチリンガルな個性的文化を十分に活かしながら、このネーデルラントの地で、現代的な意味合い近いグローバルな経済活動を展開していました。

  しかし、ほどなくして英仏両国から追撃を受けて彼らの黄金時代は終わります。なに故に「レンブラントの時代」は約100年足らずの短命で終焉を迎えることになったのでしょうか? その解を求めて地政学的条件や自然環境条件の変化など様々な方面からの研究が続けられていますが、未だ決定的な結論は見つかっていないようです。が、一つはっきりしていることがあります。それは、絶対王政時代の歴史的経験がない17世紀のオランダ共和国では近代官僚制の発達が不十分であったという事実です。他方、これを追撃した英仏両国は、それぞれの絶対王政時代を通して強大な近代官僚制を創り上げていました。このことから、その是非はともかくも、近代国家を効率的に経営する条件として効率的な官僚制度の整備ということは必要なことであったと考えられるのです。