ネグリ、「スピノザ『政治論』をめぐって」

ttp://www.bund.org/opinion/1115-5.htm

まずあらためて、今なぜスピノザなのかを押さえておこう。デカルト・カント・ヘーゲルに代表される近代哲学や社会思想においては、啓蒙的理性が普遍的真理の実現を目指すという考え方が主流を占めてきた。真理を体現する前衛が無知な大衆を指導するというマルクス・レーニン主義の前衛―大衆理論はその典型といっていい。それに対してスピノザは、そうした啓蒙主義的な考え方とは全く異なる発想から、人間のもつコナトゥス(自己保存力・自己保存欲求)を基軸に自らの哲学を構築しようとした。

「……でなければならない」という啓蒙的理性の専制に反対し、人間の感情や欲望を自然なものとして肯定するスピノザの哲学が、ソ連崩壊後の

スピノザにとって、自然権とは各人に宿る「絶対に自由な神の力」であり、そもそも委譲することなどできない類のものだからだ。スピノザは、「もろもろの自然物を存在させかつ活動させる力は神の力そのもの」(同前p18)であり、神の力は「絶対に自由」(同前p18)なものであると考える。全ての自然物は実体たる神の様態であるとするスピノザにあっては、人間だけでなく全自然物が自然権をもつことになる。スピノザが汎神論者と呼ばれるゆえんだ。