人が考えているかどうかの判断基準と規則に従っているかどうかの判断基準

もしかしたら当たり前のことかもしれませんし、全く外している見当違いの考えかもしれないのですが、人が考えているかどうかの判断基準は、脳の有無や脳内の物理的状態にあるのではなく、その人が考えているように見えるかどうかにある、のではないか、という問題がありましたが、規則に従う従い方の問題も、これと同様の考え方、同様ではまずければ、同じような方向で類推できるのではないか、ということを、今日なんとなく思いました。規則に従う従い方、従っているかどうかの基準を、何か内的な規則把握に求めることは、人が考えているかどうかにおいて脳を基準にするのと同じようなことではないか、ということです。全然無関係なような気もするし、全く当たり前の同じことを二度言っているだけのような気もする。